1950-07-28 第8回国会 衆議院 地方行政委員会 第13号
そのもう一つの材料といたしましては、実は一九四五年の十月十一日の司令部の覚書で「一九四五年十月五日作戰参謀副官に提示せられた日本警察力の員数及び武装を強化すべき旨の日本政府の提案に対しては、好意ある考慮を拂うことはできない。」と言つて、警察官増員の拒否の意向が、一九四五年の十月にもありました。また一九四九年の降伏四周年のマ元帥の声明の中にも、現警察制度で秩序維持は十分だと考える。
そのもう一つの材料といたしましては、実は一九四五年の十月十一日の司令部の覚書で「一九四五年十月五日作戰参謀副官に提示せられた日本警察力の員数及び武装を強化すべき旨の日本政府の提案に対しては、好意ある考慮を拂うことはできない。」と言つて、警察官増員の拒否の意向が、一九四五年の十月にもありました。また一九四九年の降伏四周年のマ元帥の声明の中にも、現警察制度で秩序維持は十分だと考える。
B二九へ挑戦いたしました竹槍部隊の作戰参謀の名は忘れられましても、あるいは太平洋に沈没しましたところの巨艦大和・武藏の名は消え去りましても、文化や藝術ははるかにそれらの上にある。幸田露伴の文豪たる名は、あらゆる將軍たちの名の上に必ずや遺るであろうと信ぜざるを得ないのであります。